赤坂の坂

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地名に「坂」がつくほど、坂の多い街、あかさか。
その数は主な物だけでも19を数えます。
そしてその坂の数だけ名前の由来や伝記があるのです。


①三分坂(さんぷんざか)
急坂のため通る車賃を銀三分(さんぷん・百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説も。


②薬研坂(やげんざか)
中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で何右衛門坂とも呼んだ。


③丹後坂(たんござか)
元禄(一六八八〜)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。


④本氷川坂(もとひかわざか)
坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。


⑤南部坂(なんぶざか)
江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、忠臣蔵で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。


⑥稲荷坂(いなりざか)
坂下北側に苑通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう。


⑦牛鳴坂(うしなきざか)
赤坂から青山へ抜ける厚木通で、路面が悪く車をひく牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう。


⑧弾正坂(だんじょうざか)
西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた。


⑨氷川坂(ひかわざか)
八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である。


⑩転坂(ころびざか)
江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった。


⑪円通寺坂(えんつうじざか)
元禄八年(1695)に付近から坂上南側に移転した寺院の名称をとった。それ以前に同名の別寺があったともいう。


⑫紀伊国坂(きのくにざか)
坂の西側に江戸時代を通じて紀州(和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったことから呼ばれた。赤坂の起源とする説がある。


⑬乃木坂(のぎざか)
乃木大将の殉死された大正元年9月以来、幽霊坂が乃木坂と改名された。


⑭檜坂(ひのきざか)
江戸時代には檜の木が多いため檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂であった。


⑮新坂(しんさか)
できた当時は、新しい坂の意味だったが開かれたのは古く元禄12年(1699)である。


⑯九郎九坂(くろぐざか)
江戸時代の一ツ木町の名主、秋元八郎左衛門の先祖九郎九が同所に居住していたことからこの名が付けられた。
別名:鉄砲坂(付近に鉄砲の射撃場が存在したため)


⑰桜坂(さくらざか)
明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名が付いた。


⑱霊南坂(れいなんざか)
江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつか嶺が霊となった。


⑲福吉坂(ふくよしざか)
江戸時代には、福岡藩黒田家、人吉藩相良家、菰野藩土方家の屋敷があり、福岡藩の福、人吉藩の吉をとって「赤坂福吉町」と名付けられた。



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